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ユダヤの研究者の本だと思うけど
日本人は無宗教なのではなく、宗教を意識できないほど宗教が身についている
本人たちは気がつかないだけで、思想、習慣何から何まで宗教的なもの
って書いてた

喪男のまとめ切れない事。―日本って他国から見れば変な国なのか?の詳細表示 (via geeker) (via kommm) (via jinon)
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まったく同感

(via nobw2001)

(via maido3)
文明とは、人間が人間自身を家畜化(domestication)する行為で、それによって、人間は幼児性を保ったまま、より高度なことができるようになってきた

――まさに、みんなが犯人探しのために互いを攻撃し合っているような雰囲気ですね。

高橋 みんな、「自分は悪くない」と言いたいんです。誰かをディスる言論の中身は、「誰が悪い」っていうことと「俺は悪くない」っていうことの2つでできています。政府が悪い、エネルギーどうするんだって。沈没船の中で「誰が船を壊したんだ!」と首を絞め合いながら沈んでいくんです。

――つまり、高橋さんの見方としては、3.11以降、何かが変わったわけじゃないんですね。

高橋 もともと日本の社会には展望などなく、破滅を先伸ばしにしていただけなのかもしれない。原発って、その意味でとても典型的ですよね。放射性廃棄物をどうするんだという問題があったのに、「なんとかなる」って言い続けてきた。原発から出たゴミは東北のどこかに置いて、その代わりに金をばら撒いておけば、あとはもう知らない。沖縄の米軍基地も同じ構造ですよね。だったら、東京に置けばいい。基地も原発も全部東京に置いたら地産地消でしょ(笑)。成田を米軍基地にして、皇居や国会議事堂の地下を原発にすればいい。そうしたら厳重に管理するようになるでしょう、怖いから。

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(8) 福島を忘れないために(HOSHI FAMILY)
英語教育者として知られた中津燎子氏が以前、本の中で書いていた言葉がある。ある知りあいの若い女性から、“国際人としての心構えの基本”をたずねられたのだった(今だったら、“グローバル人材の条件”という質問になっているだろう)。それに対する答えは「あなたが朝、食卓に座って、お母さんがお茶を入れてくれたら、『ありがとう』と言いなさい」というものだった。あなたと、お母さんは別人である。ほかの人があなたに何かをしてくれたら、(たとえそれが無償であれ有償であれ)まず、Thank youと言う。自他を区別する--それが世界での基本である。ちっとも大げさなことではない。そういう意味の回答だったが、はたして質問した女性には、その意味が本当に分かったかどうか。

互いに別の、自立した者同士が(個人だろうと法人だろうと)、何かを協力しようと合意したら、それぞれの責任範囲を果たすべし、というのが世界の常識である。わたしの勤務先の大先輩と最近お会いしたとき、「海外の顧客の方が、日本の顧客よりも、実はずっとやりやすい。なぜなら、そこにはルールと線引きがあるから」という意味のことを言われていて、わたしも同感だった。これ自体は、日本でだって常識であるはずだし、あるべきだ。ただ発注と受注という関係をとったとき、なぜかそこに「上下関係」みたいな封建制の遺物的な意識がいつの間にか混入してくる。同時に、上のわがままを下は受け入れ、下の面倒を上が見てやるという、親子か男女関係みたいなウェットなふるまいが期待されるのだ。

日本的慣習の全てがまずいとは、わたしは決して思わない。しかし、もし海外にビジネスの活路を切り開きたいと考えるなら--他者を自分の延長のように考える契約感覚からは、そろそろきちんと卒業すべきだと思うのである。